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statement

 

 

 街を歩けば、人物、風景などの情報が洪水のように氾濫している。ひとつひとつ精査する間も無く通り過ぎるだけの日常でしかなく、それらをつぶさに観察するには難しい。本当は一人一人の物語や顔があるのに、日常を歩いていると、そういう意識をずっと保っていられないこと、優しくなれないことが悲しい。すれ違う人々をただ視界を構成する部品として見てしまう。

 

 しかしすれ違うだけの人々が、存在感を持った他人として立ち現れる瞬間がある。服装、髪型、特徴などの情報を言葉でメモし、その後に絵に起こす。しかしそれは完璧なイメージではなく、不安定な存在であり、記憶の穴がどうしても出来てしまう。その穴埋めの為、虚構を加え構成し直す。そして完成したものは虚構と事実が混在したいびつな塊だ。

 

 それは真実ではない。立ち現れてくれたと思って、他人に投げかけた視線は散漫で曖昧で、その結果生まれたものはその人じゃない。わかったことはわからなかったという事実だ。けれど、わからなさの自覚は人を人として認識する始まりのような希望も感じている。

四間丁愛

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